山形県神社庁

山形県神社庁新テレビCM

この度、山形県神社庁のCMが新しくなりました!
以前のCMはデジタル放送に対応してませんでしたので、両脇が切れておりました。
また、画像も今と比べたら粗く、製作してから大分経過しましたので、内容を刷新しようとなりました。
神社庁内に若い神職さんを中心とした製作チームを立ち上げ、若い世代にも共感できるような内容を目指し、制作いたしました。

撮影は山形市の六椹八幡宮様にて行われました。

日常の中の神棚。
神様に手を合わせ祈ること。
家庭の中の神聖な空間。
そんなイメージを感じていただけたら…と願っています。

お母さんバージョンと息子さんバージョンの二つご用意いたしました。
山形放送(YBC)とテレビユー山形(TUY)にて、30年12月25日より放送されます。
是非ご覧下さい。

神宮大麻と氏神様のお札をお受けしましょう

 

神宮大麻とは、私たち日本民族の総氏神さまを祀る伊勢の神宮のお札(天照皇大神宮)で、「大神宮さん」「お伊勢さん」などと呼ばれ親しまれてきました。

全ての恵みを与えて下さる日本の中心の神さまです。

氏神様のお札は、その地域の守り神のお札です。

新しい年を迎えるにあたり、神宮大麻と氏神さまのご加護をいただき、ご家族の無事と幸せを祈りましょう。

日本の年末年始の行事

荘内神社宮司 石原 純一

「神宮大麻(じんぐうたいま)」と「神社の御神札(おふだ)」

 

新年を迎えるときに、家々に新しいお神札をおまつりするのは、新しい年に家族の幸福を祈るためです。

御神札には、伊勢神宮の御神札「神宮大麻(じんぐうたいま)」・地元の神社(氏神様)の御神札・遠くの神社(崇敬する神社)の御神札があります。中でも伊勢神宮の御神札は「お伊勢さま・大神宮さま」と呼ばれ、日本の総氏神として広く全国から篤い崇敬を集めています。

神宮大麻は、潔斎(けっさい)をした清浄な奉製員が白衣に着替えられ、伊勢神宮の奉製所で一体一体丁重に奉製されています。奉製した大麻は箱に納められ、厳粛な「大麻修祓式」の後に奉安されます。

9月17日、内宮神楽殿で「神宮大麻暦頒布始祭(じんぐうたいまれきはんぷはじめさい)」が、大宮司以下の神職の奉仕によって斎行され、

大宮司より神社本庁統理へ授与され、統理より各県の神社庁長に頒たれます。

各県神社庁に於いても「神宮大麻暦頒布始奉告祭(じんぐうたいまれきはんぷはじめほうこくさい)」が斎行され、それを受けた各支部でも同様の祭りが厳粛に重ねられて、家庭や会社などへ頒布がされます。

 

大宮司より授与される神宮大麻

 

 

山形県神社庁大麻暦頒布始奉告祭

 

 

西村山支部大麻暦頒布始奉告祭

 

(神宮大麻を覆っている薄紙は、神棚へお祭祀りする時にはがします。)

 

 

年末年始の行事

 

大掃除

清々しい気分で新年を迎えるために畳や障子を張り替えたり、1年間のほこりを全て落とします。神棚や仏壇は一家の当主が行い28日までに終わらせます。29日は9の末日ということから「苦待つ」や「二重苦」と呼ばれることから避けます。どうしても残ってしまった作業は30日に行います。31日に飾ったのでは一夜飾りになり、神様を粗末にするので準備はしないほうが良いとされています。

 

 

 

 

大晦日(12月31日)の大祓式(年越しの大祓式)

大晦日に、1年間に知らず知らずのうちに犯してしまった罪・穢(弔い事・争い事などに遭遇していること)をお祓いして清々しい気持ちで新年を迎えます。

 

年越しそば

大晦日に「細く長く達者に暮らせることを願う」縁起をかついで食べられるそばのことです。年を越す前に食べきります。そばを残すと翌年金運に恵まれないなどと言われています。

 

初詣

一年の最初の日に、神社にお参りして今年一年の平安を祈る大切な瞬間です。有名な神社に参拝するだけではなく、あなたを毎日お守りしている氏神(地域の守り神)に最初にお参りします。

 

 

鏡開き (1月11日)

神様にお供えした鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事です。切る事を忌み嫌い、手や槌で割ったので鏡割りとも言います。

 

小正月(1月15日)

その年に飾った門松や注連縄・古い神札・書き初めなどをお祓いして焼きます。地方によって呼び方が異なり、どんと焼き・どんど焼き・さいと焼きなどの呼び方があります。その火で焼いた餅を食べるとその年の病を除き、焼いた書き初めの炎が高く上がると字が上達するといわれています。

 

 

 

 

注連縄しめなわ)

秋に刈り取った稲から作り、不浄な物の侵入を防ぐ「結界」です。新年の豊作の願いが込められています。 

 

門松

「年神様」を家に迎え入れるための「神様の依り代」としての意味合いがあります。 

 

鏡餅

正月に神様にお供えする円くて平たいお餅のことです。

 

 

七草粥

七草が早春にいち早く芽吹くことから、邪気を祓う意味で年頭に豊年と無病息災を祈って粥にして食べます。

春の七草は、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロです。

 

お正月の遊び

凧揚げ・羽根突き・福笑い・かるた・双六などは、どれも古くから日本に伝わる伝統的遊びです。

凧揚げには子どもの成長を祝う意味が、羽子板には魔よけ・厄払いの意味があります。

 

おせち

おせちの歴史は平安時代に始まり、1年のうち重要な神様祭りの日である「お節供おせっく)」のことを指していましたが、神様に食べ物をお供えをする習慣から正月の料理のことを指すようになりました。新年の行いがその年1年に反映されるという日本人の信仰から、その年の食事が豊かになるようにとの願いをこめて、豪華なおせちを作る習慣が現代まで受け継がれています。全ての料理には意味があります。

 

数の子子孫繁栄

黒豆まめ( 健康) に暮らせるように

昆布よろこぶ   鯛めでたい

里芋小芋がいっぱいつくことにちなんで、子宝に恵まれるように

案山子と神の関わりについて

日本案山子研究会会長 武蔵野久延毘古

案山子(かかし)は日本だけに存在するものではなく、世界中にその存在が認められていることは多くの方が御承知のことと思う。ご当地「かみのやま温泉全国かかし祭り」においては、諸外国から幾度も協賛参加の実績があるので、実際に見た方も少なくないだろう。呼び名もそれぞれの国の言葉で呼ばれていることは当然だが、その意味するところは、カラスなどを追い払うことや、みすぼらしい人を指すことなどほぼ共通していることはおもしろい。日本の「かかし」は「案山子」と漢字で書かれるほか、他の国に見られない幾つかの違い、特徴があることに気付かれるだろう。

 

ここでは日本の「案山子と神の関わり」に絞って考えてみたい。

 

案山子は「田の神」ともいわれ、「春、山から山の神が田に降りてきて田の神となり、田を守り、稲作の生育を守り、秋、稲の収穫が終わるとまた山に帰り山の神になる」という伝承がほぼ日本全域に分布している。また、中部地方を中心に十月十日に「案山子揚げ」、「十日夜(とおかんや)」という民俗行事が行われるが、これは、この日に田から案山子を引き揚げ、庭に新しく蓑(みの)と蓑笠(みのかさ)を着けた案山子を作り立て、臼杵(うすきね)や農具を添え、お供えするなどして案山子に感謝を捧げる祭りを行う民俗行事である。

 

また、能登地方の「アエノコト」という民俗行事では、秋の稲の収穫が終わった後、農家の家々で、主人が自分の田から田の神を自宅に招じ入れ、饗応(きょうおう)し今年の稲の収穫に感謝の意を表する。田の神は眼と足が不自由とされ、そのため主人は眼には見えない田の神を、居ますが如く、言葉を以て一つ一つの動作、歩みの都度に助言しながら誘い、入浴、炉端の横座に招き、饗応の際にも一つ一つ料理を説明しながら食事を勧める。この年の田の稔りを感謝し、来る年もまたよろしくと願って送り帰す行事である。

 

田の神は地域によってさまざまで、近畿、中国、四国、九州等では亥(い)の子神、お丑様、サンバイ様を田の神とも呼び、薩摩半島や種子島等では、石像の神様もあり、農神、作神、地神等と呼ぶところもある。いずれにせよ、田の神の常置する祠堂はどこの地域でも、祭りの時だけ迎え、送り帰す。稲作全作業期間を単位とした去来の神の信仰は、田の神に典型的なものとなっている。田の神は、稲作の始まり以降の必要から、それぞれの地で徐々に広まったものであろう。そして、田の神の名が代表的な名称として一般化していったものであろう。

 

案山子のルーツは「古事記伝十二之巻『神代十之巻(かみよのとまきといふまき)』」の〝大国主命の国作り〟の中に出てくるものである。ここを口語訳で確認しておく。

 

「大国主命が出雲の国の美保の岬に居られるとき、波の上を羅摩(がいも)の実で作った舟に乗って、蛾の皮を丸剥ぎに剥いで、それを衣服にして近寄ってくる神があった。そこでその名を質されたけれども、神は答えなかった。また、お供の神たちにお問いになったが、皆『知りません』と答えた。ところが蟇蛙(ひきがえる)が『これは、久延毘古(くえびこ)ならきっと知っておるでしょう』と申したので、すぐに久延毘古を呼んでお尋ねになると、久延毘古は『この神は神産巣日神(かむむすひのかみ)の御子の少名毘古那神(すくなびこな)ですよ』とお答え申し上げた。そこで、大国主命が神産巣日神の御母神(みおやがみ)にそのことを申し上げなさると、御母神は『これは私の子です。多くの子の中で、私の手指の間から漏れ落ちた子たちですよ。それでおまえ(少名毘古那神)は葦原色許男命(あしはらのしこおのみこと)と兄弟となって、その国を作り固めなさい』と仰られた。それから大穴牟遅(おおあなむじ)と少名毘古那神の二柱の神は、互いに協力して葦原中国(あしはらなかつくに)を作り固めたのである。しかし、後にはその少名毘古那神は海のかなたの常世国(とこよのくに)にお渡りになってしまった。さて、少名毘古那神の名を明かし申した、いわゆる久延毘古は、今では山田の曾冨騰(そほど)といわれる神である。この神は歩くことは出来ないが、天下のことは残らず知っている神である」

 

と書かれている(荻原浅男 日本の古典完訳「古事記」 小学館 昭和五十八年をベースに要約)。

曾冨騰は「そほづらかがし」へ、次いで「かかし」から「案山子」へと呼び名は変わっていった。案山子には多くの謎が隠されている。漢字で書かれた理由、弓矢を持つこと、田の神、山の神、さらには学問の神、久延毘古の名称が最も古い呼び名であったことも分かってきた。なぜ、案山子とこれらのことが関係したのであろうか。

 

ここで述べた案山子の謎と神との間には何か大きな問題が関わっているのだ。これを解明すれば、日本人の精神基層文化のいわれを明らかに出来るだろう。