山形県神社庁

第25回沖縄「山形の塔」慰霊祭

山形県神社庁では毎年山形県神社総代会との共催で、沖縄県の「山形の塔」にて慰霊祭を斎行しており、今年で25回目を数えます。

本年は西村山支部(大瀧速見支部長)の慰霊団一行33名(林保彦副支部長が団長兼斎主、丹野隆夫山形神社総代会顧問が副団長を務めました。)が2月21から23日にかけて現地を訪問し、慰霊祭を執り行いました。

 

「山形の塔」は、沖縄県南端の糸満市字真栄里(まえさと)ウテル原に建立されております。

大東亜戦争において祖国防衛のために戦没された山形県出身将兵の英霊の偉勲をしのび、ご冥福を祈り、永くそのご功績をたたえるために、昭和39年に山形県をあげての事業として進められました。

塔が建立されている場所は、霞城連隊とも呼ばれ主に山形県出身者で編成されていました歩兵第三十二連隊が、敵の手に渡ることを防ぐため泣く泣く軍旗を奉焼した由緒ある地(終焉の地)であるからです。

 

今は、周囲に激戦の跡を伺えるものはなく、サトウキビ畑と樹木に囲まれた静かな場所となっています。

近くには、沖縄戦で看護活動にあたり犠牲になった沖縄県立第二高等女学校「白梅学徒隊」を偲んで建立された「白梅の塔」や、平成17年8月に歩兵第三十二連隊で生き残った隊員の方々が建立した記念碑「歩兵第三十二連隊碑」などがあります。 

 

22日の慰霊祭当日は早朝まで激しい風雨で、一同無事に奉仕できるか心配しておりましたが、驚くことに斎場に着く頃には雨も上がり、穏やかな天候となりました。一同の願いが神々のもとに通じたようでした。

斎場に到着した一行は、山形より持参した沢山のお供物を塔に供え祭典に臨みました。

 

慰霊祭は沖縄県神社庁長、沖縄県護国神社宮司のご臨席のもと、国と国民のため命を捧げられた英霊の芳しい精神と、勇敢なる魂こそ誠に尊く、言葉にかけて申し上げることも畏れ多いことですが、惟神(かむながら)と称え、厳粛に斎行いたしました。

 

祭典では御霊をお慰め申し上げるべく、御前に巫女が神楽「みたま慰の舞」を奉仕し、斎員と参列者全員にて「海ゆかば」、昭和天皇の御製を歌詞にした山形県民歌「最上川」を斉唱しました。さらには一人ひとりが、恒久の平和と国家国民の安泰、世界の共存共栄の祈りを込め、玉串を供え拝礼致しました。

 

 

戦後60年を過ぎ、戦争を知る世代の方々がいよいよ少なくなってまいりました。

そんな中、この度の慰霊祭では、県内中学校の修学旅行生が祈りを捧げている場面に出合いました。我々の慰霊祭斎行の直前に彼らは塔の前で「慰霊の言葉」と「平和の言葉」を奉読、宣言していました。同中学校では以前から同地を訪れておられたそうです。

また、翌日は別の県内中学校の修学旅行生が慰霊塔を訪れ、周辺の清掃奉仕活動を行ったと聞きました。

戦時中を知る方々が、高齢により慰霊祭に参加することが困難になってきている中、この出来事は非常に明るい未来に思えました。若い世代、戦争を知らない世代が、国と国民ために命を捧げられた先人に対しての畏敬の念、感謝の気持ちをもち、戦争の記憶を消えさせないため、今後も是非に続けていただきたいと感じました。

 

本年は沖縄が日本本土に復帰し40年を迎える年にあたります。【本土復帰:昭和47年(1972)5月15日】

筆者

谷地八幡宮 権禰宜  林 重陽