山形県神社庁

『古事記』編纂1300年

皆さんは、『古事記(こじき)』という書物をご存知でしょうか?

おそらくその名前は聞いたことがあるかと思います。

 

『古事記』は現存する日本最古の文書で、編纂(へんさん)されたのは、和銅4年(西暦712年)のことです。現存する日本最古の文書といっても原本は消失しており、現在は写本のみが残っています。

平成24年(西暦2012)の今年は、『古事記』が編纂されて1300年目の年です。今回のコラムでは、その編纂の経緯についてお話したいと思います。

 

『古事記』とは、神話を含む日本の建国の歴史、動乱の歴史を物語風に編纂した古典です。『古事記』は、以下の構成で出来ています。

・上表文(前書き。筆者が天皇に対して奉る文書)
・上つ巻(創世神話~初代神武天皇まで)
・中つ巻(初代神武天皇~第15代応神天皇まで)
・下つ巻(第16代仁徳天皇~第33代推古天皇まで)

 

◆「上表文」とは?

 

上記のとおり、『古事記』には、冒頭に「上表文(じょうひょうぶん)」というものが書かれています。

この、「上表文」とは、天皇に対して文書を奉ること、また、その文書のことをいいます。

簡単に言えば、“目上の方に対する挨拶文”のようなものです。

「上表文」は、文書(もんじょ)=特定の相手に意志を伝えるもの(手紙、登記など)に当たります。この「上表文」に、1300年前の『古事記』編纂の経緯が書かれているのです。

 

『古事記』、そしてその冒頭の「上表文」を書いたのは、太安萬侶(おおのやすまろ)という大和朝廷の役人でした。『古事記』編纂当時は平仮名、片仮名が発明されていなかった為、文字は漢字のみ、形式は漢文調で書かれており、現代の日本語の文章とは大分異なります。ここでは、「上表文」の原文を紹介したいと思います。

 

1,上表文・原文へのリンク(別ウィンドウで開きます)

 

上表文だけでもこれだけの難解さですから、大量の漢字の羅列で出来た『古事記』を解読するのは非常に困難だろうことは容易に推測できます。

 

さて、平安時代には、漢字を崩して出来た平仮名が発明され、その後も長い年月を経て日本語の変化も生じていきました。

 

その時代の流れの中、太安萬侶が書いた『古事記』の原本は何らかの理由で消失してしまいます。

 

奇跡的に、『古事記』は写本が伝承されましたが、その編纂当時から長い年月を経てしまうと、日本人でも解読不能な文書となってしまいました。

 

◆『古事記』を解読したのは誰?

 

『古事記』編纂から約1050年も下った江戸時代中期のことです。

 

解読不能に陥っていた『古事記』を解き明かしたのは、

江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)でした。

 

本居宣長は、註釈書『古事記伝』の起稿から執筆完了までになんと約35年もの時間を要しました。この執筆期間の長さは、『古事記』の解読がとてつもなく困難であったことを物語っています。

 

そして、本居宣長が書いた註釈書『古事記伝』(全44巻)を元に、以降、数々の研究者達が『古事記』を再解読、再解釈、再註釈を加えたことで、平仮名と漢字を日常的に用いる中世以降の日本人ならある程度読むことができる“書き下し文”(古典文)が出来ます。

 

2,上表文・書き下し文へのリンク(別ウィンドウで開きます)

 

“書き下し文”でも古典の文章であるため、現代語に慣れた我々にはまだ難解です。今回はわかりやすく、「上表分」の現代語訳を記載しておきます。難しい単語はありますが、おおかた理解できると思います。

 

3,上表文・現代語訳文へのリンク(別ウィンドウで開きます)

 

現代語訳だと、上表文の内容がだいぶ理解できるようになります。

 

さて、この「上表文」に、『古事記』編纂の重要な目的が書かれているのです。それは、「上表文」に書かれている、天武天皇の詔(みことのり)です。

 

◆『古事記』編纂の目的とは?

 

○「上表文」に書かれた天武天皇の詔

【書き下し文】
「朕(わ)が聞けらく、『諸家の賷(も)てる帝紀および本辞、すでに正実に違(たが)ひ、多く虚偽を加ふ』ときけり。今の時に当りて、その失(あやまり)を改めずは、いまだ幾年をも経(へ)ずしてその旨滅びなむとす。これすなはち、邦家(はうか)の経緯(けいゐ)、王化(わうくわ)の※鴻基(こうき)ぞ。かれこれ、帝紀(ていき)を撰録(せんろく)し、旧辞(きうじ)を討覈(たうかく)して、偽(いつはり)を削(けづ)り実(まこと)を定めて、後(のち)の葉(よ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」

上記書き下し文だとわかりづらいので、現代語訳を載せておきます。

【現代語訳】
「私が聞いたことだが、『諸氏族が持つ帝紀(天皇の系譜の記録)と本辞(古伝承)は、もはや真実から遠く離れて、自家に有利にする為に多くの虚偽を加えている』とのこと。

 

今日の時点で、その誤りを改めなかったら、もう数年も絶たないうちにその真実はきっと滅びるだろう。

この帝紀と旧辞(古伝承)はそもそも国家組織の根本にあたり、政治の基礎であるぞ。

そこで帝紀をまとめ旧辞を調べて虚偽を削り真実を定めて、これを後世に伝えようと思う。」

この詔からわかるように、天武天皇は歴史の真実を尊び、偽造を嫌いました。そして、歴史の真実は、国家組織の根本、政治の基礎であると述べられております。つまり、『古事記』編纂は、日本の歴史の“真実”を後世に伝えることを目的とした国家プロジェクトだったのです。

 

◆1300年前に編纂された『古事記』から現代に生きる我々へのメッセージ

 

「上表文」に書かれた天武天皇の詔は、現代に生きる我々へのメッセージと言っても過言ではありません。

現代でも日本国内外問わず、“歴史認識問題”は人の世の常だからです。

天武天皇の詔の通り、現代でも、国家の歴史の真実は、国家組織の根本、政治の基礎です。

それが崩れては、政治は出来ません。例えば、誰かの意図によって捏造された嘘の歴史が編入されてしまったらどうなるでしょうか?その捏造史はそれ以降、ずっと伝承されてしまうのです。

 

『古事記』の「上表文」に書かれた天武天皇の詔のように、歴史の真実を後世に伝えることの重要性は、現代にも通じることなのです。日本の歴史から真実が失われれば、それは日本という国家の崩壊に繋がりかねないのです。

 

終わりに、筆者から、読者の皆様にお願いがあります。

 

現代に生きる私達も、日本の歴史の“何が真実なのか”をしっかりと見極めて下さい。
そして、歴史の“真実”を後世に伝えて下さい。
日本という我々の国家が末永く繁栄し続けるように、我々日本人がこれを実行していくことが必要なのです。

 

古代の日本人が何を考え、後世の我々に何を伝えようとしたのか。
『古事記』編纂から1300年が経った今でも、古代の日本人からのメッセージは、現代に生きる我々への警鐘となっているのです。

筆者

豊里神社 禰宜 新野武憲