山形県神社庁

伊勢志摩サミットに思う

山形県神社庁 教化委員会 石原純一

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 5月26日27日に主要国首脳会議が無事に執り行われました。安倍総理が各国首脳を出迎えたのは、伊勢神宮の内宮鳥居前でした。

 

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 まさに日本の伝統文化を象徴する聖地での迎賓となりました。報道では何かに配慮?して参拝ではなく「訪問」としていたが、各国首脳は素直に感動されていたようです。

 

 

― 何故、人は神社をお参りすると穏やかに和やかになるのでしょう。考察してみます ー

 

 

神道の成り立ちと自然観

・神道は日本古来の固有の「民俗宗教」であり、狭い意味での「一宗教」と言うよりも、より広い意味での日本人としての生活様式や考え方と結びついてきた信仰形態である。

 

神道は

・教義をもたず、開祖や教祖はいない。布教をせず、教典(聖書や仏典)もない。

・戒律はなく、具体的な行動規範は定められていない。

・「浄明正直」(じょうめいしょうちょく)の精神は、「制約」ではなく何が正しいかに気づく。

 

神道の起源

・細長く弓の様に並ぶ北海道・本州・四国・九州の他、大小7千の島で構成され、海・川・山・

谷・平野とからなり国土の70%が森林で水が豊富である。気候は四季があり温暖で日本人の深

層心理の中に「自然界は多くの恵みを与えてくれる」と感じ「畏れ・感謝の念」が醸成された。

 

神道の神

・全知全能の神(GOD)ではなく、八百万の神々がそれぞれの力を発揮し足りない点を自然界

のあらゆるものに宿る神々の働きによって世界のバランスが保たれている。

・伊勢神宮に祀られている「天照大神」は最も貴い神様だが唯一絶対神ではない。他の神々との

間に優劣は存在せず、それぞれの神が有する個性を「ご神徳」として信仰している。

 

神道と自然

・自然も人も神から生まれた子で、山川草木全てが尊い存在で「畏敬と感謝の念」をもつ。

巨樹や巨岩は、「神の依代」(よりしろ)とされ、その地が「境内」となり社殿が建てられた。

共同体と神社

・「米」は神聖でかけがえのない食物として扱われ、「稲作文化・農耕文化」が神道の祭りの起源

である。春の祈年祭(豊作を祈願)・夏の風祭(台風除け)・秋の新嘗祭(収穫に感謝)を厳修する。

 

調和と清浄

・神道では、武力や争いで物事を決しない。「和を以て貴しとなす」

・「禊」(みそぎ)と「祓」(はらえ)が重視され、神社入り口での手や口を清める「手水」で心身を清

め神前に向かい祭りの始めには、さらに「お祓い」を受け、清浄を期すのが神道の極意である。

 

内宮(皇大神宮)を表敬され、G7各国首脳は今回の印象を次のように記されました。

 

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■アメリカ バラック・オバマ大統領
原文:
It is a great honor to visit this sacred place, which has brought comfort and peace to generations.
May the people of the world be inspired to live together in harmony and understanding.
仮訳:幾世にもわたり、癒しと安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に

光栄に思います。世界中の人々が平和に、理解しあって共生できるようお祈りいたします。

 

■フランス フランソワ・オランド大統領
原文:
Dans ce haut lieu de spiritualité, où le Japon prend sa source, s’expriment les valeurs d’harmonie, de respect et de paix.
仮訳:日本の源であり、調和、尊重、そして平和という価値観をもたらす、精神の崇高なる場所

にて。

 

■ドイツ アンゲラ・メルケル首相
原文:
Im tiefen Respekt vor der engen Verbindung des japanischen Volkes mit seiner reichen Natur, die in diesem Schrein ihren Ausdruck findet.
Mögen Deutschland und Japan Hand in Hand dazu beitragen, die natürlichen Lebensgrundlagen unseres Planeten zu sichern.
仮訳:

ここ伊勢神宮に象徴される日本国民の豊かな自然との密接な結びつきに深い敬意を表します。
ドイツと日本が手を取り合い、地球上の自然の生存基盤の保全に貢献していくことを願います。

 

■イギリス デービッド・キャメロン首相
原文:
It is a great pleasure to visit this place of peace, tranquility and natural beauty as we gather in Ise Shima for Japan’s G7, and to pay my respects as Prime Minister of the United Kingdom at the Ise Jingu.
仮訳:日本でのG7のために伊勢志摩に集うに際し、平和と静謐、美しい自然のこの地を訪れ、

英国首相として伊勢神宮で敬意を払うことを大変嬉しく思います。

 

■イタリア マッテオ・レンツィ首相
原文:
Grazie per la straordinaria accoglienza in questo luogo carico di storia e di suggestione. Che sia di buon auspicio per il Giappone che ci ospita e per tutti noi per costruire con piu’ vigore le condizioni della crescita economica e della giustizia sociale, mantenendo viva la dignita’ dell’uomo.
仮訳:このような歴史に満ち示唆に富む場所ですばらしい歓待をいただきましてありがとうござ

います。主催国である日本と我々全員が、人間の尊厳を保ちながら、経済成長及び社会正

義のための諸条件をより力強く構築できることを祈念します。

 

■カナダ ジャスティン・トルドー首相
原文:
Que l’harmonie de Ise Jingu renforce notre engagement à bâtir un avenir empreint de paix et de prosperité.
Let the harmony of Ise Jingu reflect our desire to build a prosperous and peaceful future.
仮訳:伊勢神宮の調和に、繁栄と平和の未来を創るという我々の願いが映し出されますように。

 

■EU ドナルド・トゥスク欧州理事会議長
原文:
A place of peace and reflection. And a deep insight into Japan. Thank you!
仮訳:静謐と思索の場。そして日本についての深い洞察。どうもありがとう!

 

■EU ジャン=クロード・ユンカー欧州委員会委員長
原文:
Je m’incline devant les traditions qui furent et les performances qui sont.
仮訳:この地で目の当たりにした伝統と儀礼に敬意を表す。

 

神宮司庁のHPから引用させて頂きました。

 

 

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第26回沖縄「山形の塔」慰霊祭

鮎貝八幡宮 宮司 舩山義彦

山形県神社庁では、毎年、山形県神社総代会との共催で沖縄県の「山形の塔」にて慰霊祭を斎行しており、平成25年の今回で26回目を迎えました。

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本年は長井西置賜支部の担当で、42名で組織された慰霊団(高橋敏永支部長が団長兼斎主、今間邦雄総代会支部理事が副団長を務めました。)は、2月20日(水)午前、現地を訪問し慰霊祭を執り行いました。

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当日は、曇り空で風が強く気温も18℃程度と、沖縄としては肌寒く感じられる天候でしたが、一人一人持参した地元の名産品等を慰霊塔に献じ、祭典では参列者全員が玉串拝礼を行いました。

この「山形の塔」を以前訪れ、参拝された事がある方は多数おられましたが、このように厳粛に慰霊祭に参列し玉串拝礼までされたのは、今回が初めてという方が殆どでした。皆さんから、この慰霊祭に参加して山形の塔に参拝できたことに「感謝・感激」との声を頂きました。

 

*「山形の塔」については

   25回沖縄「山形の塔」慰霊祭 の記事をご参照下さい。

国旗 日の丸

荘内神社 権禰宜 石原和香子

国旗 日の丸の意味

日の丸は日章旗と呼ばれるように、太陽をデザインしたものです。
なぜ日の丸が日本の国旗となったのでしょうか?
日の丸が日本を代表する旗となったのは、今から約140年前の幕末のことです。
日本が近代の国際社会に参加した時、日本を代表する旗として登場したのが日の丸だったのです。
江戸時代の終わり頃、外国船が国交を求めて頻繁に来航するようになりました。
その時に、外国船と日本の船とを識別する為に、
「船印」として「白帆に朱の丸」の小旗を掲げるになりました。
その後、幕府は大艦に「御国総標」(みくにそうじるし)として、
「白地日の丸の旗」を掲げるよう決定します。
日の丸は、「幟」から「旗」へ、そして「総船印」から「御国総標」へと変わったのです。
幕末に決定された国旗・日の丸は明治維新後も引き継がれ、明治3年、明治新政府は日本の外国航路の貿易船は必ず「国旗」を掲げる事、国旗は日の丸であること、さらにはそのデザインや寸法を布告されました。
国旗・日の丸が近代日本の誕生のシンボルとなったのです。
12月より、神道青年館鶴岡西田川支部では、
日本の象徴である国旗日の丸を大切にする運動を始めました。
国旗掲揚1
諸外国では、ナショナルフラッグといって最も敬意を表するものであります。
日本では敗戦後、占領軍の政策もあり、これまで蔑ろにされがちでした。
しかし、国旗や国歌は、私たち日本人の根本ともいえるものです。
祝日には国旗を高く掲げましょう。
これからの祝日(12月・1月)は、

12月23日 天皇誕生日

1月1日   元日

1月14日  成人の日

2月11日  建国記念の日

単なる休日ではなく、日本で定めた祝祭日には、
国旗を掲げて日本を感じてみませんか?
国旗掲揚2

『古事記』編纂1300年

豊里神社 禰宜 新野武憲

皆さんは、『古事記(こじき)』という書物をご存知でしょうか?

おそらくその名前は聞いたことがあるかと思います。

 

『古事記』は現存する日本最古の文書で、編纂(へんさん)されたのは、和銅4年(西暦712年)のことです。現存する日本最古の文書といっても原本は消失しており、現在は写本のみが残っています。

平成24年(西暦2012)の今年は、『古事記』が編纂されて1300年目の年です。今回のコラムでは、その編纂の経緯についてお話したいと思います。

 

『古事記』とは、神話を含む日本の建国の歴史、動乱の歴史を物語風に編纂した古典です。『古事記』は、以下の構成で出来ています。

・上表文(前書き。筆者が天皇に対して奉る文書)
・上つ巻(創世神話~初代神武天皇まで)
・中つ巻(初代神武天皇~第15代応神天皇まで)
・下つ巻(第16代仁徳天皇~第33代推古天皇まで)

 

◆「上表文」とは?

 

上記のとおり、『古事記』には、冒頭に「上表文(じょうひょうぶん)」というものが書かれています。

この、「上表文」とは、天皇に対して文書を奉ること、また、その文書のことをいいます。

簡単に言えば、“目上の方に対する挨拶文”のようなものです。

「上表文」は、文書(もんじょ)=特定の相手に意志を伝えるもの(手紙、登記など)に当たります。この「上表文」に、1300年前の『古事記』編纂の経緯が書かれているのです。

 

『古事記』、そしてその冒頭の「上表文」を書いたのは、太安萬侶(おおのやすまろ)という大和朝廷の役人でした。『古事記』編纂当時は平仮名、片仮名が発明されていなかった為、文字は漢字のみ、形式は漢文調で書かれており、現代の日本語の文章とは大分異なります。ここでは、「上表文」の原文を紹介したいと思います。

 

1,上表文・原文へのリンク(別ウィンドウで開きます)

 

上表文だけでもこれだけの難解さですから、大量の漢字の羅列で出来た『古事記』を解読するのは非常に困難だろうことは容易に推測できます。

 

さて、平安時代には、漢字を崩して出来た平仮名が発明され、その後も長い年月を経て日本語の変化も生じていきました。

 

その時代の流れの中、太安萬侶が書いた『古事記』の原本は何らかの理由で消失してしまいます。

 

奇跡的に、『古事記』は写本が伝承されましたが、その編纂当時から長い年月を経てしまうと、日本人でも解読不能な文書となってしまいました。

 

◆『古事記』を解読したのは誰?

 

『古事記』編纂から約1050年も下った江戸時代中期のことです。

 

解読不能に陥っていた『古事記』を解き明かしたのは、

江戸時代の国学者・本居宣長(もとおりのりなが)でした。

 

本居宣長は、註釈書『古事記伝』の起稿から執筆完了までになんと約35年もの時間を要しました。この執筆期間の長さは、『古事記』の解読がとてつもなく困難であったことを物語っています。

 

そして、本居宣長が書いた註釈書『古事記伝』(全44巻)を元に、以降、数々の研究者達が『古事記』を再解読、再解釈、再註釈を加えたことで、平仮名と漢字を日常的に用いる中世以降の日本人ならある程度読むことができる“書き下し文”(古典文)が出来ます。

 

2,上表文・書き下し文へのリンク(別ウィンドウで開きます)

 

“書き下し文”でも古典の文章であるため、現代語に慣れた我々にはまだ難解です。今回はわかりやすく、「上表分」の現代語訳を記載しておきます。難しい単語はありますが、おおかた理解できると思います。

 

3,上表文・現代語訳文へのリンク(別ウィンドウで開きます)

 

現代語訳だと、上表文の内容がだいぶ理解できるようになります。

 

さて、この「上表文」に、『古事記』編纂の重要な目的が書かれているのです。それは、「上表文」に書かれている、天武天皇の詔(みことのり)です。

 

◆『古事記』編纂の目的とは?

 

○「上表文」に書かれた天武天皇の詔

【書き下し文】
「朕(わ)が聞けらく、『諸家の賷(も)てる帝紀および本辞、すでに正実に違(たが)ひ、多く虚偽を加ふ』ときけり。今の時に当りて、その失(あやまり)を改めずは、いまだ幾年をも経(へ)ずしてその旨滅びなむとす。これすなはち、邦家(はうか)の経緯(けいゐ)、王化(わうくわ)の※鴻基(こうき)ぞ。かれこれ、帝紀(ていき)を撰録(せんろく)し、旧辞(きうじ)を討覈(たうかく)して、偽(いつはり)を削(けづ)り実(まこと)を定めて、後(のち)の葉(よ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」

上記書き下し文だとわかりづらいので、現代語訳を載せておきます。

【現代語訳】
「私が聞いたことだが、『諸氏族が持つ帝紀(天皇の系譜の記録)と本辞(古伝承)は、もはや真実から遠く離れて、自家に有利にする為に多くの虚偽を加えている』とのこと。

 

今日の時点で、その誤りを改めなかったら、もう数年も絶たないうちにその真実はきっと滅びるだろう。

この帝紀と旧辞(古伝承)はそもそも国家組織の根本にあたり、政治の基礎であるぞ。

そこで帝紀をまとめ旧辞を調べて虚偽を削り真実を定めて、これを後世に伝えようと思う。」

この詔からわかるように、天武天皇は歴史の真実を尊び、偽造を嫌いました。そして、歴史の真実は、国家組織の根本、政治の基礎であると述べられております。つまり、『古事記』編纂は、日本の歴史の“真実”を後世に伝えることを目的とした国家プロジェクトだったのです。

 

◆1300年前に編纂された『古事記』から現代に生きる我々へのメッセージ

 

「上表文」に書かれた天武天皇の詔は、現代に生きる我々へのメッセージと言っても過言ではありません。

現代でも日本国内外問わず、“歴史認識問題”は人の世の常だからです。

天武天皇の詔の通り、現代でも、国家の歴史の真実は、国家組織の根本、政治の基礎です。

それが崩れては、政治は出来ません。例えば、誰かの意図によって捏造された嘘の歴史が編入されてしまったらどうなるでしょうか?その捏造史はそれ以降、ずっと伝承されてしまうのです。

 

『古事記』の「上表文」に書かれた天武天皇の詔のように、歴史の真実を後世に伝えることの重要性は、現代にも通じることなのです。日本の歴史から真実が失われれば、それは日本という国家の崩壊に繋がりかねないのです。

 

終わりに、筆者から、読者の皆様にお願いがあります。

 

現代に生きる私達も、日本の歴史の“何が真実なのか”をしっかりと見極めて下さい。
そして、歴史の“真実”を後世に伝えて下さい。
日本という我々の国家が末永く繁栄し続けるように、我々日本人がこれを実行していくことが必要なのです。

 

古代の日本人が何を考え、後世の我々に何を伝えようとしたのか。
『古事記』編纂から1300年が経った今でも、古代の日本人からのメッセージは、現代に生きる我々への警鐘となっているのです。

13歳からの道徳教科書

荘内神社 宮司 石原純一

昨年3月11日大地震が起こり巨大津波を引き起こしました。さらにあろうことか原子力発電所の事故を誘発しました。
後に「東日本大震災」と名付けられたように、日本の将来を左右するような未曾有の大惨事であります。

あの大地震に遭遇した一人一人がとった行動が、世界中の人々から驚かれ賞賛されました。

外国であれば、必ずと言ってもいいほど暴動が起き、商店からの略奪が頻発するのだそうです。

しかし、ほとんどの日本人はそのような卑劣な事は考えもしませんでした。

被災された人々が、わずかな食料を皆で分け合っていながら不満を口にすることもなく整然と並んで、老人や子供や弱者を優先させていた姿が報道されていました。

厳しい避難所生活にも関わらず助け合いの精神を忘れなかったのです。
非常事態に陥った時に、平静を保つことはとても難しい事です。日本人は、長い時間をかけて先人から受け継いできた規範意識というものが生まれ、相手のことを思いやったり規律を守るという潜在的な意識が育っていたのでしょう。

 

戦後の日本は、自国の歴史を「差別社会」であり「搾取する権力と虐げられた民衆」として捉えられ、

「悪」とされてきました。そして、戦後の自由と経済成長が「善」であり、伝統文化や歴史を軽んじる傾向が強くなっていました。

「責任=公益」が忘れ去られ「権利=個人主義」だけが横行するような世の中となっています。

 

とりわけ将来を託すべき子どもたちの教育現場で毎日教えられていることは、「国」「国民」という概念は意図的にはずされ、「市民社会」「地球市民」という訳のわからない不可思議な概念を植え付けられています。(大人のまったく知らないとところで)

 

偏向教育を憂慮した心ある人々が「このままでは日本が溶解して行ってしまう」と危機感を抱かれ、「道徳教育をすすめる有識者の会」を発足され、標題の道徳教科書を出版されました。

代表世話人を勤めておられるのが我が郷土出身の渡部昇一先生であります。先生は前文で「道徳教育の一つの道は、私たちが「美しい」と感ずるような話を子供たちに伝え(中略)特に日本人の行った素晴しい行動を子供たちに伝えるべきでしょう。」と書いています。

その概要は、第1部「しっかりとした自分」~第5部「誰かのために」まで、37名の方の文章が掲載されています。

その中で、第4部「公」と「私」の章の23番目に「村に来た人たち」と題し鶴岡市出身の直木賞作家藤沢周平先生の文章が掲載されています。

先生は「人はなぜ、人をいじめたりするのだろう。そもそも人間とは何者だろう。私は凝然とそういうことを考え続けるのである」と結んでいます。自分の少年期の原体験を赤裸々に綴られ、差別や偏見をもってはいけない事を教えています。

 

多くの皆様にお勧めしたい一冊であります。

 

版元「育鵬社」1200円
当神社庁でも取り扱います

東北六県神道青年協議会研修会

谷地八幡宮 権禰宜  林 重陽

山形県神社庁所属神社に奉仕する青年神職有志で、山形県神道青年会を組織しております。
この度3月7日に、東北六県の各青年神職の会で結成する東北六県神道青年協議会が主催する研修会が秋田市にて開催され、当県からも11名の会員が参加致しました。

 

 

今回の研修では、早くも一年が経とうとしている東日本大震災から、改めて当時の状況や現在までの様子、今後の復旧復興に向け何が必要であるかを、神職として、ひとりの人間として今後支援に活かすべく、受講してまいりました。

研修会は御三方から講師として、貴重なご講義を頂きました。

 

・第一講

「釜石における災害派遣活動について」

陸上自衛隊第21普通科連隊長兼秋田駐屯指令 末吉洋明先生

・第二講

「神社の存在意義と神職の果たすべき役割 原発事故被災地の宮司として」

福島県飯舘村 綿津見神社 宮司 多田宏先生

・第三講

「震災後の金華山の人と動物」

宮城県石巻市 金華山黄金山神社 名誉宮司 奥海睦先生

 

 

翌3月8日には、青年神職の全国組織である神道青年全国協議会(以下、神青協)の会長、副会長と東北六県の各青年会の会長による意見交換会が開催されました。
震災発生直後より、被災地の神社に限らず復旧活動に尽力してきた神青協ですが、その活動の窓口となり、先頭となって活動してきたのが東北六県の青年会です。これまでの活動の課題、反省点などが話し合われ、今後も率先して復旧復興活動、支援活動を取り組んでいくことが確認されました。

第25回沖縄「山形の塔」慰霊祭

谷地八幡宮 権禰宜  林 重陽

山形県神社庁では毎年山形県神社総代会との共催で、沖縄県の「山形の塔」にて慰霊祭を斎行しており、今年で25回目を数えます。

本年は西村山支部(大瀧速見支部長)の慰霊団一行33名(林保彦副支部長が団長兼斎主、丹野隆夫山形神社総代会顧問が副団長を務めました。)が2月21から23日にかけて現地を訪問し、慰霊祭を執り行いました。

 

「山形の塔」は、沖縄県南端の糸満市字真栄里(まえさと)ウテル原に建立されております。

大東亜戦争において祖国防衛のために戦没された山形県出身将兵の英霊の偉勲をしのび、ご冥福を祈り、永くそのご功績をたたえるために、昭和39年に山形県をあげての事業として進められました。

塔が建立されている場所は、霞城連隊とも呼ばれ主に山形県出身者で編成されていました歩兵第三十二連隊が、敵の手に渡ることを防ぐため泣く泣く軍旗を奉焼した由緒ある地(終焉の地)であるからです。

 

今は、周囲に激戦の跡を伺えるものはなく、サトウキビ畑と樹木に囲まれた静かな場所となっています。

近くには、沖縄戦で看護活動にあたり犠牲になった沖縄県立第二高等女学校「白梅学徒隊」を偲んで建立された「白梅の塔」や、平成17年8月に歩兵第三十二連隊で生き残った隊員の方々が建立した記念碑「歩兵第三十二連隊碑」などがあります。 

 

22日の慰霊祭当日は早朝まで激しい風雨で、一同無事に奉仕できるか心配しておりましたが、驚くことに斎場に着く頃には雨も上がり、穏やかな天候となりました。一同の願いが神々のもとに通じたようでした。

斎場に到着した一行は、山形より持参した沢山のお供物を塔に供え祭典に臨みました。

 

慰霊祭は沖縄県神社庁長、沖縄県護国神社宮司のご臨席のもと、国と国民のため命を捧げられた英霊の芳しい精神と、勇敢なる魂こそ誠に尊く、言葉にかけて申し上げることも畏れ多いことですが、惟神(かむながら)と称え、厳粛に斎行いたしました。

 

祭典では御霊をお慰め申し上げるべく、御前に巫女が神楽「みたま慰の舞」を奉仕し、斎員と参列者全員にて「海ゆかば」、昭和天皇の御製を歌詞にした山形県民歌「最上川」を斉唱しました。さらには一人ひとりが、恒久の平和と国家国民の安泰、世界の共存共栄の祈りを込め、玉串を供え拝礼致しました。

 

 

戦後60年を過ぎ、戦争を知る世代の方々がいよいよ少なくなってまいりました。

そんな中、この度の慰霊祭では、県内中学校の修学旅行生が祈りを捧げている場面に出合いました。我々の慰霊祭斎行の直前に彼らは塔の前で「慰霊の言葉」と「平和の言葉」を奉読、宣言していました。同中学校では以前から同地を訪れておられたそうです。

また、翌日は別の県内中学校の修学旅行生が慰霊塔を訪れ、周辺の清掃奉仕活動を行ったと聞きました。

戦時中を知る方々が、高齢により慰霊祭に参加することが困難になってきている中、この出来事は非常に明るい未来に思えました。若い世代、戦争を知らない世代が、国と国民ために命を捧げられた先人に対しての畏敬の念、感謝の気持ちをもち、戦争の記憶を消えさせないため、今後も是非に続けていただきたいと感じました。

 

本年は沖縄が日本本土に復帰し40年を迎える年にあたります。【本土復帰:昭和47年(1972)5月15日】

北方領土の日に

山形県神道青年会会長 鬼海尚仁

2月7日は北方領土の日です。
毎年「北方領土返還要求全国大会」が開催されています。

 


今年は東京の日本青年館大ホールにて行われ、全国各地より約2000人の人達が集まりました。
山形県神社庁からも、青年会が代表して参加しています。

 

今日まで粘り強く活動されてこられた方々に敬意を表すると共に、1日も早い返還を祈ります。
大会では、北方四島の現状が報告され、ロシアの実効支配による開発が進み、島に住むロシア人は三代目をむかえ、いよいよロシア化している状況にあります。
今年は四島が不法に占拠されてから67年目をむかえ、元島民の方々の高齢化も懸念されています。17000人あまりいた方々も、約10000人が亡くなられているそうです。
ロシア政権が転換期をむかえる今年こそ、政府の信念に根ざしたぶれない強い外交を期待したいです。

 

 

大会では、野田首相をはじめ、各政党の代表、玄葉外相、川端北方対策相等の面々が返還に向けた力強い挨拶を行いました。

彼らの言の葉が現実と成るよう、またこの大会が今年で最後と成り、元島民の方々が1日も早く故郷に帰れることを祈念する2月7日です。

 

日本の年末年始の行事

荘内神社宮司 石原 純一

「神宮大麻(じんぐうたいま)」と「神社の御神札(おふだ)」

 

新年を迎えるときに、家々に新しいお神札をおまつりするのは、新しい年に家族の幸福を祈るためです。

御神札には、伊勢神宮の御神札「神宮大麻(じんぐうたいま)」・地元の神社(氏神様)の御神札・遠くの神社(崇敬する神社)の御神札があります。中でも伊勢神宮の御神札は「お伊勢さま・大神宮さま」と呼ばれ、日本の総氏神として広く全国から篤い崇敬を集めています。

神宮大麻は、潔斎(けっさい)をした清浄な奉製員が白衣に着替えられ、伊勢神宮の奉製所で一体一体丁重に奉製されています。奉製した大麻は箱に納められ、厳粛な「大麻修祓式」の後に奉安されます。

9月17日、内宮神楽殿で「神宮大麻暦頒布始祭(じんぐうたいまれきはんぷはじめさい)」が、大宮司以下の神職の奉仕によって斎行され、

大宮司より神社本庁統理へ授与され、統理より各県の神社庁長に頒たれます。

各県神社庁に於いても「神宮大麻暦頒布始奉告祭(じんぐうたいまれきはんぷはじめほうこくさい)」が斎行され、それを受けた各支部でも同様の祭りが厳粛に重ねられて、家庭や会社などへ頒布がされます。

 

大宮司より授与される神宮大麻

 

 

山形県神社庁大麻暦頒布始奉告祭


 

西村山支部大麻暦頒布始奉告祭


(神宮大麻を覆っている薄紙は、神棚へお祭祀りする時にはがします。)

 

 

年末年始の行事

 

大掃除

清々しい気分で新年を迎えるために畳や障子を張り替えたり、1年間のほこりを全て落とします。神棚や仏壇は一家の当主が行い28日までに終わらせます。29日は9の末日ということから「苦待つ」や「二重苦」と呼ばれることから避けます。どうしても残ってしまった作業は30日に行います。31日に飾ったのでは一夜飾りになり、神様を粗末にするので準備はしないほうが良いとされています。

 

 


 

大晦日(12月31日)の大祓式(年越しの大祓式)

大晦日に、1年間に知らず知らずのうちに犯してしまった罪・穢(弔い事・争い事などに遭遇していること)をお祓いして清々しい気持ちで新年を迎えます。

 

年越しそば

大晦日に「細く長く達者に暮らせることを願う」縁起をかついで食べられるそばのことです。年を越す前に食べきります。そばを残すと翌年金運に恵まれないなどと言われています。

 

初詣

一年の最初の日に、神社にお参りして今年一年の平安を祈る大切な瞬間です。有名な神社に参拝するだけではなく、あなたを毎日お守りしている氏神(地域の守り神)に最初にお参りします。

 

 

鏡開き (1月11日)

神様にお供えした鏡餅を雑煮や汁粉にして食べ、一家の円満を願う行事です。切る事を忌み嫌い、手や槌で割ったので鏡割りとも言います。

 

小正月(1月15日)

その年に飾った門松や注連縄・古い神札・書き初めなどをお祓いして焼きます。地方によって呼び方が異なり、どんと焼き・どんど焼き・さいと焼きなどの呼び方があります。その火で焼いた餅を食べるとその年の病を除き、焼いた書き初めの炎が高く上がると字が上達するといわれています。

 

 


 

注連縄しめなわ)

秋に刈り取った稲から作り、不浄な物の侵入を防ぐ「結界」です。新年の豊作の願いが込められています。 

 

門松

「年神様」を家に迎え入れるための「神様の依り代」としての意味合いがあります。 

 

鏡餅

正月に神様にお供えする円くて平たいお餅のことです。

 

 

七草粥

七草が早春にいち早く芽吹くことから、邪気を祓う意味で年頭に豊年と無病息災を祈って粥にして食べます。

春の七草は、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロです。

 

お正月の遊び

凧揚げ・羽根突き・福笑い・かるた・双六などは、どれも古くから日本に伝わる伝統的遊びです。

凧揚げには子どもの成長を祝う意味が、羽子板には魔よけ・厄払いの意味があります。

 

おせち

おせちの歴史は平安時代に始まり、1年のうち重要な神様祭りの日である「お節供おせっく)」のことを指していましたが、神様に食べ物をお供えをする習慣から正月の料理のことを指すようになりました。新年の行いがその年1年に反映されるという日本人の信仰から、その年の食事が豊かになるようにとの願いをこめて、豪華なおせちを作る習慣が現代まで受け継がれています。全ての料理には意味があります。

 

数の子子孫繁栄

黒豆まめ( 健康) に暮らせるように

昆布よろこぶ   鯛めでたい

里芋小芋がいっぱいつくことにちなんで、子宝に恵まれるように

山形県神社関係者大会 in米沢

豊里神社 禰宜 新野武憲

去る、平成23年10月27日、

米沢市民文化会館にて、年に一度の平成23年度山形県神社関係者大会が開催されました。

 

 

一般の方はなかなかご存知ないかとは思いますが、神社は神職だけで運営できるものではありません。
必ず、その神社が御鎮座している地域の方々のお力添えが必要で、各神社ごとに責任役員や総代といった役を、地域の方々に担っていただいております。

この大会は、神社神職をはじめ、山形県内の各神社の責任役員や総代の方々が一堂に会し、功労者への表彰や記念講演を行うものです。
今年も1,000人以上の方々に参集していただき、盛大な大会となりました。

 

 

記念講演では、講師として参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長としてご活躍の、有村治子(ありむらはるこ)先生をお迎えし、ユーモアを交えながらの大変有意義なお話を伺うことができました。

 

 

演題は、「見つめよう 日本人の生き方」です。

有村先生のお話は、日本人と神社の関係についてはもちろんのこと、日本人の死生観や食糧事情、外交に至るまで多岐にわたり、講演時間1時間をずっと聞いていても全く飽きることのない、興味深いお話ばかりでした。

有村先生の講演の中で私が特に興味を持ったのが、日本人の主食である、米の消費量の減少と、日本の食料廃棄の現状についてのお話です。

 

 

戦後、ようやく食生活が安定してきた昭和30年代では、日本人1人当たりの米の消費量は年間約120kgだったそうです。
ところがです。それが現在では、なんと約58kgまでに減少したのだそうです。
この約半世紀の間に、日本人は米の消費が半分に減ってしまっているということです。

言われてみれば、今日、私は昼食にうどんを食べました。うどんは小麦から出来ています。
山形県民は全国で最もラーメン消費量が多いそうですが、私もラーメンは大好きです。
ラーメンだって、小麦から出来ています。
たしかに、1日3食、お米を食べる日って、なかなか多くはないかもしれませんね。

話は変わって、食料全体についてです。
日本の食料自給率は、カロリーベース換算で39%しか無いのだそうです。
ということは、日本人は食料生産の6割を、海外に依存していることになります。

ところがです。

家庭での食べ残しで廃棄される残飯の量は、なんと、年間1,000万トンなのだそうです。
飲食店も含めるとさらに膨大になり、日本全体で2,000万トン程の食料が廃棄されているとのこと。

国連をはじめとして、世界の国々が、飢餓で苦しんでいる国へ送っている食糧援助総量は、740万トン。
この量で、途上国の5,000万人分の年間食糧に匹敵します。

日本人は、この数倍もの食料を廃棄しているということです。
海外から食料を、日本国内消費量全体の6割も輸入してまで・・・。

有村先生の話は、私も深く考えさせられる内容でした。

“もったいない”

こんなにも、大事な言葉が、日本にはあります。

果たして、私たちは、“もったいなくない”食生活が出来ているでしょうか。

各云う私は、実践として、今日は昨日の残り物まで残さず頂きました。
(ちょっと食べ過ぎたかも・・・。)

“いただきます”

それから、

“ごちそうさま”

忘れてはならない、大切な、日本人の生き方を示した言葉であると思います。